由無し事

とりとめのない事を書き留めます。

【観劇記録】シェイクスピア物語〜真実の愛〜

シェイクスピア物語〜真実の愛〜

於:神奈川芸術劇場(KAAT)

12/24昼:3F上手 夜:1F前方中央
1/7 昼:M2F中央 夜:M2F下手
1/8 M2F上手

於:梅田芸術劇場

1/21 夜:1F上手
1/22 昼:2F中央 最後列

於:中日劇

1/28 昼・夜:1F中央

 

【舞台機構】

二階建舞台。二階部分は中央が半円状にせり出している。奥に白色のカーテン(両開き)。
上手下手対象に手すり付きの弧状階段、舞台中央やや下手側にはしご段。
一階部分の舞台奥は赤色の舞台幕で仕切られ、中央部は二階同様に半円状で手前に迫り出し
奥は白色のカーテンで仕切られている(両開き)

中央部は多角形の上底がされている。二重舞台。

転換時などは下手側に小ぶりのスクリーンが降り、風景や人物肖像画を投影し、情景説明を行なっている。

 

【あらすじ】

ウィリアム・シェイクスピアは、芝居好きなエリザベス女王下の
ルネッサンス演劇が賑わうロンドンで劇作家・俳優をしていた。
野心あふれる彼は世の中を変える新しい芝居を作りたいと熱望していたが、
最近は全く作品が思うように書けず絶不調。

そんな中、ヴァイオラという一人の女性と出会ったシェイクスピア
その時、初めて真実の愛を知る。
だが、彼にはすでに妻がいて、ヴァイオラには許嫁がいた。
それは許されない恋、秘密の禁断の愛となった。

愛とは何か…その想いが嵩じて、喜劇を書くつもりが恋愛悲劇になっていき、
やがてそれは、名作「ロミオとジュリエット」を紡いでいくこととなる。

当時の演劇界は女性が演じることなど許されない時代であったが、
ヴァイオラは無謀にも恋するシェイクスピアの作品に出演し、彼自身も舞台に上がる。
許嫁の嫉妬に狂う報復と法律の罰が、上演する舞台に迫る…
二人の「哀しくも真実のファンタジックな愛」はどうなってしまうのか…(http://www.shakespeare-love.com/:公式サイトより)

【感想】

ともかく座組の雰囲気が良い。これにつきます。
公演の前半(2016年)はまだお互い探り探りという感じはありましたが、
回を重ねる毎に段々と座組の雰囲気自体が物凄く良くなったのが観客側にもはっきり受け取れました。

特に顕著だったのが、酒場のシーン。
チームワークが良くなりアドリブもバンバン出てくる(特に上川さんと松尾さん)

 

個人的にベストだったのは名古屋の昼。一番ヴァイオラに気持ちが乗ってた。
(各役者のアドリブ、やりすぎ感はあったものの、それもまた面白し)

 

あとは衣装。当時の英国服飾史をしっかり咀嚼した上での衣装だったので、見ていてすごく楽しかったです
(例えば、どんなに貧乏なド平民でも付け襟とソックスは欠かさないとか。女性陣のドレスも見応えありました)

 

 

 

ここからは見ていて気になった点をいくつか。

自分自身書いていて細かいかなと思うし、数多く見ているから気になるポイントもあるのかなあとも思いますが、一応書き留めておきます。

脚本

何を主に見せたいのか不明確。

シェイクスピアの人はみな役者、人生は舞台感を全面に出しすぎて
舞台を通じて紡ぎあげる真実の愛を描きたいのか、
人生は舞台ってこと言いたいのか良くわからなかった。

演出、製作側との主題のすり合わせが不足していたように感じる。

 

個人的には真実の愛をもっと見せて欲しかった。

「家庭内の守役」というジェンダーに反する舞台に立つという行為、
そして妻子あるものと姦淫するキリスト教に反する行為。

ヴァイオラにとっては自分のアイデンティティにも関わる二大タブーを超えるだけの重大な事項なので、そこのところをもっと詳しく書いてくれた方が親切だったように思う。
現代の日本とは価値観が全く違うわけだから。

あとは強い女性キャラが多かった。
ダンカン=ランズウィックも酒場の女亭主も遊女達も皆強く逞しい。
母親も男性的役割を兼ねていたので、あまりヴァイオラの境遇に共感しづらかったのは辛い。
そして余りに自己の意思がはっきりしている女性ばかりだと
最後のエリザベス女王のセリフが生きてこない
(特にダンカンのキャラ自体が完全に蛇足に思えました。十朱さんの演技めちゃめちゃ良いのに……勿体無い)

 

演出

⑴転換
恐らく舞台演出の経験が少ないのか、急遽演出プランを変えざるを得なかったのか、
シーンの切替で半暗転多用しすぎて単調に。
もっと客席含めて空間を上手く使えば暗転の時間短縮もできたのになあと。

 

⑵二幕以降の効果音。
大仰すぎ。音がショックを受けすぎ。
劇中劇でジュリエットが自害するときの音は流石にひどすぎて殺意を覚えた。

 

⑶神奈川公演のとき。大道具が舞台幕奥で方向転換しているのが、思いっきり客席から見切れてた。
無論、黒衣とかではなく。

論外。商業演劇でこれはアリなのか…

 

製作

今回の公演で一番ネックだったのはこの部門が弱かったからではないかと。
とかく、役者の仕上がりの状態もそうだし、稽古日数が少ないという声をいくつか見たりしたので、
本当に公演の準備期間が短すぎたのかなと。
(勿論長く稽古をやれば良いものが出来るというものではないですが…)

 

あと、これは全く根拠のない考えなんですが、
は神奈川公演は本当はKAAT以外で予定されていたのではないかと。
中日・梅芸に比べ、KAATはひとまわりほど舞台のサイズがコンパクトなので、
神奈川公演の時に感じたウィルの部屋と他シーンとの照明の切り分けが曖昧であるとか、
大道具舞台見切れ問題とか、予定されていたサイズより小さく本番までに修正不可だったのではないか
と考える方がしっくりきます
(とはいえ年末年始挟んで公演を行っていたので、その間に何とか対策しようよとは思いますが)

 

いくら料理が美味しくても、盛り付けが下手だったり器がそぐわないものだと魅力が低減してしまいます。

そんな感じを抱いてしまったのが本当に残念だなあと思いました。役者さんみんな素敵だったのになあ…